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大阪高等裁判所 昭和52年(う)310号 判決 1977年11月22日

被告人 各務一夫

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、京都地方検察庁検察官甲田宗彦作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人真鍋能久作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決は、

「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、

第一  昭和五〇年一一月一四日午後一〇時五〇分ころ、飲酒して普通貨物自動車を運転し、京都市南区東九条河西町六番地先の河原町通を北進中、自動車運転者としては、公安委員会の定めた指定速度(四〇キロメートル毎時)を遵守するはもちろん、絶えず前方および左右を注視し、進路の安全を確認しながら進行し、もつて事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのに、右指定速度を超える時速約五〇キロメートルで、ルームミラーで後方の被追越し車両を眺め、前方注視を欠いて進行した過失により、折から道路を右(東)から左斜め(北北西)に向け歩行横断中の崔正烈(当四〇年)を見落し、前方約五・六メートルに迫つて始めて発見し、急制動の措置をとるも及ばず、同人に自車右前部を衝突させ、同人を反対車線の追越し車線中央部付近に眺ね飛ばし、よつて同人に背部、腰部皮下出血等の傷害を負わせ、その際同人は失神状態で前記道路の中央部付近に転倒していたため、同所は交通の頻繁な道路であるから、直ちに同人を救護して安全な場所に移し、他の車両による危害の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのに、同人および前記事故発生後同人の傍に走り寄り中腰になつて泣いている同人の妻権栄子(当三六年)を、そのままその場に放置した過失により、折から南進して来た松田茂(当六二年)運転の普通乗用自動車をして右崔および権に激突させ、次いで後続南進して来た李桂植(当二九年)運転の普通乗用自動車をして、右崔を轢過させて路上を引摺らせ、よつて同人を即時同所において、頭部打撲、腰部打撲等に基づく、くも膜下出血および失血により即死させ、右権を翌一五日午前六時四五分ころ、同市東山区大和大路通正面下る大和大路町二丁目五四三番地大和病院において、右体背面打撲裂創、肝破裂等に基づく失血により、死亡させ、

第二  前記人身事故を起こしたのに、事故発生の日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度等法令に定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつ

たものである。」

との公訴事実に対し、同第一の業務上過失致死の事実については、その外形的事実はこれを認めうるとしながら、横断歩行中の崔正烈に前方注視を欠く等の過失により自車右前部を衝突させて対向車線の追越車線中央部付近に跳ね飛ばし加療約二週間を要する背部腰部皮下出血等の傷害を負わせた限度において、被告人の刑責を認め、同所に失神状態で転倒している同人及び事故発生後同人のそばに走り寄り中腰になつて泣いている同人の妻権栄子をそのままその場に放置したため、後続南進車二台をして右両名に激突、轢過等させ、その際の受傷によつて崔正烈を即死させ、権栄子を翌一五日に失血により死亡させた点については、被告人がこれらの死亡事故発生を容易に予見できる状況下にあつたとは速断できないから被告人の過失責任を認めるにはその証明が十分でないとして、被告人の業務上過失致死の刑責を否定し、また第二の道路交通法違反の公訴事実についても、警察官に報告すべき交通事故の内容を崔正烈に対する傷害事故を限度として被告人の刑責を認めた。

しかしながら、本件公訴事実第一の事故の被害者中、崔正烈を死に至らしめた点については、高度の予見可能性があり、被告人が同事故回避のため必要な措置をとるべき業務上の注意義務を負つていたもので、それにも拘わらず予見可能性の存否に疑いがあるとして容易にとり得た同人の死の結果を回避するための手段を講ずることなく、その場を離れた被告人の過失致死の刑責を否定した原判決には、証拠の取捨選択ないし価値判断を誤り、事実を誤認した違法があり、またその結果、公訴事実第二につき、警察官に報告すべき交通事故を崔正烈に対する傷害事故に縮少認定する誤りを犯すに至つたもので、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実調べの結果を参酌して以下に判断を加える。

先ず原判決は、前記公訴事実が本件事故を、その前段記載の被告人車による崔正烈に対する直接の受傷事故と同後段記載の受傷した同人を放置したことによる死亡事故との二個の事実に分けたうえ、右各事実に対応する各別の過失=注意義務を記載し、これらの注意義務に順次違背する包括的一連の過失行為により崔正烈の死の結果を招来したという過失構成をとつたことに対応し、右前段の傷害事故の限度で刑責を認め、後段の死亡事故については、前示のとおり予見可能性がないことを理由に崔正烈を安全な場所に転位すべき業務上の注意義務はないと判断したものである。しかし、本件公訴事実における過失としては、右前段の過失行為が一個あるのみで、後段の死亡の事実は右前段の過失行為を原因として生じた因果関係上の結果たる事実に外ならないと解されるから、右後段の注意義務及び過失に関する記載は、本来、原因行為たる前段の過失行為とその結果たる崔正烈の死亡との間の因果関係上の事実に関する単なる事情の記載と認めるべきものであり、この点原判決は過失に関する法律構成につき一部異なる見解をとり解釈を誤つた点があるといわねばならない。ただ原判決は、その理由中で右後段の注意義務の存否の問題につき予見可能性の観点から検討を加えているが、この予見可能性の有無の問題は、同時に右前段の過失行為と崔正烈の死亡との間に相当因果関係があるか否かを判断するについて基本的視点となる重要な事柄であり、実質的な争点という面で共通性をもつものであるから、原判決の前記法律解釈の誤りは、それだけでは直ちに破棄理由となるものではない。

次に、後記の証拠によると、被告人は夜間飲酒して普通貨物自動車を運転して原判示道路を時速約五〇キロメートルで進行中前方注視義務を懈怠した過失により道路を横断歩行中の崔正烈を前方約五、六メートルに迫つて初めて発見し、急制動も間に合わず、自車右前部を同人に衝突させ、道路中央部付近に跳ね飛ばして同人に背部、腰部皮下出血等を負わせたこと、被告人は右事故を起したのに、その場に失神転倒した被害者を認めながら、同人をそのまま放置したため後続車二台に相次いで轢過され、頭部打撲、腰部打撲等に基づくくも膜下出血及び失血により即死させたことが明らかである。

右致死の刑責について原判決は、視認距離が約一八メートルであれば、運転者が制限速度を遵守する等注意深い運転をし且つ衝突回避のため迅速な転把を行うなど適切な措置をとることにより、後続南進車による二重、三重事故の発生は回避しえたと考える余地があるとし、現に数台の南進車が転倒している崔正烈らを早期に発見しこれとの衝突を回避して通過した事実をあげて、後続車による二重、三重の事故発生についての予見可能性を否定している。

そこで、右原判決の当否を因果関係における予見可能性の存否として検討する。前記証拠によると、本件事故現場は市街地を南北に貫通する直線道路(京都市と奈良市を結ぶ国道二四号線)で、最高速度は道路標識により四〇キロ毎時と規制され、巾員約一三・二メートルのアスフアルト舗装の車道は中央線で区分され片側二車線となつており、車道両側の歩道には約五〇メートル間隔で水銀灯が設置されていること(但し本件事故時には南進車左前方歩道上の水銀灯=原審記録八八丁現場見取図左端表示のものは消灯)、非降雨時の夜間に現場付近の水銀灯全部が点灯した状況下において本件現場に人物を立たせ実況見分した場合、正常視力の持主の視認距離は約一八・二〇メートルであることが認められるが、これは本件事故発生時の具体的状況に即応するものでないこと、本件現場は、事故が発生した午後一〇時五〇分ころの時間帯でもかなりの車の往来があり、通過車両はおおむね前照灯を下向きにして走行し、且つ速度規制を超過し時速六〇ないし七〇キロメートル位で進行する車両も少なくないこと、非降雨時の夜間に本件事故時と同一の時刻及び同一の水銀灯の照明状況下で、停止した乗用車の前照灯を下向きに照射し運転席から約三〇メートル先の事故現場道路中央部に、被害者の如く黒衣服を着用し座位の状態でいる人物を発見するには相当の注意力を要することが認められるが、本件事故時のように降雨中を走行する車両から右人物を発見するのは一層困難となるうえ、夜更けの国道上に人が横臥ないし座位の状態でいることは運転者にとり強い意外性をもつ事柄だけに、かかる障害物は見落し易いし発見遅延を生じるだけでなく、発見後の回避措置も遅れ勝ちになるものであり、現に本件時には二重、三重事故が発生していること等が認められ、これらの諸事情に徴すると、被告人の過失ある運転行為により受傷失神した崔正烈を前認定の諸条件下にある本件現場にそのまま放置する場合には、後続の通過車両により轢過される高度の危険性があると認められ、且つかかる事故発生は一般的にあり勝ちなこととして容易に予想しうる事態であるから、結局、被告人の過失ある運転行為と崔正烈の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

かように、崔正烈の死亡事故発生については高度の予見可能性があつたと認められるに拘わらず、前記原判示事由をもつてその存在を否定し、同人に対し原判示の傷害を負わせた限度において刑責を認め、同人を死亡させた点につき業務上過失致死の刑責を否定し、引いては公訴事実第二の道路交通法違反の事実につき、警察官に報告すべき事故の内容を同人に対する傷害事故を限度として刑責を認めた原判決には、事実を誤認した誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五〇年一一月一四日午後一〇時五〇分ころ、普通貨物自動車を運転し、京都市南区東九条河西町六番地先河原町通を北進するに際し、自動車運転者として、公安委員会が定めた制限速度毎時四〇キロメートルを遵守するはもちろん、絶えず進路前方を注視して安全を確認しながら進行し、もつて交通事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これをおこたり、右制限速度を超える毎時約五〇キロメートルで、かつ、ルームミラーで後方の被追越し車両を眺めつつ、二秒余の間前方注視を欠いたまま進行した過失により、おりから前記河原町通を右(東)から左斜め(北北西)に向つて飲酒酩酊して横断歩行中の崔正烈(当時四〇歳)をその手前約五・六メートルに迫つて初めて発見し、あわてて急制動の措置をとつたが及ばず、同人に自車右前部を衝突させて同人を南行道路の追越し車線中央付近にまではねとばして転倒させ、同人に加療約二週間を要する背部、腰部正中、左大腿部等各皮下出血等の傷害を負わせたが、失神状態で転倒している同人をそのまま同所に放置したため、その二、三分後折から南行車線を走行してきた松田茂運転の普通乗用車(タクシー)及びその後続の李桂植運転の普通乗用車にそれぞれ激突、轢過等させ、よつて崔正烈を即時同所において頭部打撲等に基づくくも膜下出血及び失血により即死させ、

第二  前記交通事故を惹起したのに、前記日時ころ、前同所において、同事故の発生の日時、場所等法令に定める事項を、直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた

ものである。

(証拠の標目)

原判決挙示の各証拠のほか、

左記の証拠を追加する。

一、検察官作成の実況見分調書

一、司法警察員作成の昭和五〇年一一月一五日付「第二回目実況見分調書」謄本及び五二年七月二二日付実況見分調書

一、司法警察員作成の昭和五〇年一一月一五日付「第一回目実況見分調書」謄本(原審提出分が不鮮明のため再提出したもの)

一、司法巡査作成の写真撮影報告書謄本(前同)

なお、被告人は自車を崔正烈に衝突させた直後自車をセンターライン寄りにとめ、転倒している同人のそばに行き肩口にかがみ込んで抱き起こそうとしていた際、同人の妻権栄子が夫を呼び悲鳴を上げながらきて夫のそばにしやがみ込んだので、同女に対し「救急車を呼んでくる。電話してくる」と声をかけ、すぐその場を離れたが、当時同女は夫にすがつて泣くなど取り乱していて、被告人の言葉が通じるような状態になかつたのであるが、被告人は自分の言葉に対する同女の態度・様子に目もくれずすぐに自車に戻り、約六〇メートル北方の公衆電話まで自車を走行させ一一九番に架電したことが認められる。その場合、仮に、同女が前記の被告人の言葉に応じてその場に残り夫の救護を引受ける意思を明示したとか、或は被告人に対し救急車を手配するよう依頼した等の事実が存在する場合であれば、その場における負傷者を見守り安全に配慮する等してこれを保護すべき地位につくことを引受けたと解され、従つて、被告人が現場を離れた間に負傷者が二次事故に遭遇することがあつても、よつて生じた結果につき被告人が刑責を問われることはないが、本件の場合は前認定のとおりの事実経過であり、同女が負傷者の保護を引受けたと認むべき事実がなかつたのは勿論、かかる事情が存在したものと信頼してよい状況があつたとも認め難いから、被告人は、崔正烈の死亡の結果につき刑責を免れないものである。

(法令の適用)

判示各事実に原判決挙示の法条を適用し、重い判示第一の業務上過失致死罪の禁錮刑に法定の加重をした刑期の範囲内で処断すべきところ、判示第一の死亡事故を惹起した被告人の前方注視懈怠の過失は軽視できないが強度の酩酊状態で判示国道を横断しようとした被害者側の落度も無視しえないこと、被告人車による衝突事故は被害者の致命傷の原因とはなつていないこと、受傷した被害者を放置したことにより二次事故が招来され致死の結果が発生したが、被告人が現場を離れたのは重体の被害者を救護すべく一一九番に架電するためであつたこと、二次事故を惹起した運転手の使用者であるタクシー会社と遺族との間で示談が成立し慰籍の方法が講じられていること、被告人には道路交通法違反による罰金の処罰歴があること等被告人に有利不利な諸事情を総合考慮し、被告人を禁錮一年に処し、刑法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。

なお、本件公訴事実中権栄子に対する部分は前示認定部分と観念的競合の関係に立つところ、原判決はこれを理由中で証明不十分として無罪としているが、この部分については、検察官から控訴の申立がなく当事者間において攻防の対象からはずされているから、この部分は、原判決どおり無罪というべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢島好信 山本久巳 久米喜三郎)

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